【世界遺産】長崎 軍艦島に行ってきました。

30号棟 旅行
30号棟

先日、軍艦島に行ってきました。
旅行記として記録します。

軍艦島の全景

軍艦島の全景(戦艦に見える)

 

 

 

 

 

 

 

軍艦島とは

軍艦島をよく知らない人も、少なくないと思います。実際に私も名前を聞いたことはあるけど、場所すら分かりませんでした。

軍艦島の正式名称は「端島(はしま)」といい、長崎県長崎市に属しています。軍艦島のニックネームは、遠くから見ると戦艦「土佐」に似ているということで付けられたそうです。確かに上の写真を見ると軍艦に見えます。
島の岩礁を掘削したところ、良質な石炭が発見され、1890年に三菱が買い取り、大きな炭鉱として発展していきました。

炭鉱で働くために人が移住し、島を拡張しながら石炭の採掘を続けて、最盛期には約5,200人もの人々が生活をしていたそうです。狭い島内にそれだけの人がいたので、当時の人口密度は世界一と言われていました。住居は高層アパートや高層マンションが立ち並び、小中学校や病院、映画館など生活に必要なものは揃っていたそうです。そして当時、三種の神器と言われていた「冷蔵庫・洗濯機・テレビ」の各家庭普及率はほぼ100%だったそうです。炭鉱マンは危険も多いため給料がかなり高かったそうです。

かなり栄えていましたが、国のエネルギー政策が石炭から石油へと移ったため、石炭の需要が減り、人口が減少していきました。そして、1974年の4月に無人島になったそうです。

そして2015年に世界遺産に登録され、今に至ります。

軍艦島への行き方

軍艦島は長崎市が所有しており、許可された方や、ツアー会社の組むツアーでしか上陸できないそうです。島内への入り口には鍵がかかっていました。ツアー会社が数社ありましたが、私は「軍艦島コンシェルジュ」さんのツアーで行きました。

軍艦島コンシェルジュのツアーには軍艦島デジタルミュージアムの見学がついており、館内を見学してから上陸した方が楽しめるかなというポイントで選びました。

軍艦島デジタルミュージアムでは、上述したような歴史や当時の暮らしを知ることができました。当時の生活していた部屋などの展示品だけでなく、大きいスクリーンに映像を写して解説するなどかなり質の高い展示でした。

午前中のツアーを申し込んでいたので、朝の受付開始後すぐに受付を済ませて、ミュージアムを1時間ほど見学しました。

出航!

10時頃に集合場所に行き、軍艦島に向かう船に乗船しました。船は想像していたより大きく、1階と2階に分かれており、約200名弱が乗船できるそうです。

クルーザー

軍艦島に向かうクルーザー

 

 

 

 

 

 

 

 

出航直後から長崎の街の歴史や、世界遺産である「ジャイアント・カンチレバークレーン」などの見所について、次々と解説をしていただき、あっという間に軍艦島に到着しました。正直この長崎港のツアーでも満足できるレベルでした(笑)

船酔いは心配していましたが、スタッフさんも珍しいというほど波が無く穏やかなクルーズでした!

これが軍艦島

軍艦島に近づくと、まずは周りをグルッと航行しました。軍艦島は立ち入り禁止エリアが多く、上陸しても入れない地点を洋上から見ました。7階建ての小中学校や立ち入り禁止エリアの居住区などを実際に見ながらガイドをしていただきました。

小中学校

小中学校

 

 

 

 

 

 

 

集合アパート

集合アパート

 

 

 

 

 

 

 

 

いざ、上陸!!!

周囲の見学が終わったら、いよいよ上陸です。

上陸するときには長崎市の厳しい基準があり、島付近に設置している波高計測器で波高が0.5mを超えるときは上陸できません!幸いにも行った日は波が全く無く、基準をクリアしていたため、無事に上陸することができました。

上陸時(下船時)は細い足場を通るため、手元が滑ってスマートフォンを落とすと、海に消えてしまいます。落とし物をしないよう、一層の注意が必要です。

無事に上陸すると見学通路に沿って移動し、各地点で解説を聞きました。

島の給水塔や、炭鉱である地下に向かうためのエレベーター関連の建物、採掘した石炭を運ぶベルトコンベアー跡、等々について当時の写真を見ながら良質な解説を頂きました。

中でも驚いたのは台風の威力でした。コンクリート造りの建物が経年劣化もありますが、見学した通路部分は台風が来ると30m超えの波が当たり、コンクリートがどんどん崩れていくそうです。見学通路の手すりも数年前の台風で無くなって何回も取り付けをしていると聞き、台風の波風の威力を実感しました。

崩れた建物

崩れた建物

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、下の写真の中央部分が崩れている建物が1916年に建設された日本最古の鉄筋コンクリート造の高層アパートの30号棟です。これも数年前に崩壊が始まったらしく、いつ崩れてもおかしくないそうです。実際にYouTubeには一部が崩れる瞬間の動画もあり、大変驚きました。手前の瓦礫もただのコンクリートが崩れたものに見えますが、ここで生活していた人たちの思い出がここにあることを考えると、物凄い光景だなと思います。

30号棟

30号棟

 

 

 

 

 

 

 

 

世界遺産に登録された軍艦島

ここまで軍艦島の歴史や建物について解説を受けてきましたが、冒頭で触れた世界遺産について、少し触れようと思います。このコンクリート造の建物が歴史的価値があるために世界遺産に登録されたと思う人もいるはずです。

ですが、世界遺産に登録されているのは建物では無く下写真の石積みのオレンジ色の土がある護岸部分とのことです。

軍艦島の護岸

これが世界遺産

 

 

 

 

 

 

 

 

島全体が世界遺産だと思っていましたが、実は明治時代に作られたこの石垣が世界遺産に登録された遺産であり、「明治日本の産業革命遺産である製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の文化遺産の構成資産の1つとして、山口県や福岡県の構成遺産と共に、登録されているそうです。

もしこの石垣がコンクリートだったら台風の波風に耐えられず、軍艦島はもう無くなっていたかもしれないという話もあります。昔の構造物って頑丈なんだなと改めて感じました。

まとめ

今回は軍艦島に行った記録でした。

世界遺産を目の前で見ながら、丁寧で質の高い解説を聞いて観光ができたので、貴重な経験でした。そもそも上陸できるか天候次第ということもあり、行けてよかったです。世界遺産や歴史のある観光地ではガイドさんの話をしっかり聞いて、充実した旅行をしたいですね。

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